読書生活 with TOKYO Smart Life

ビジネス本を中心に、読んだ本の感想とちょっとした要約をブログ形式でご紹介

「つまらない」がなくなる本 本来の自分を生きるということ

 

「つまらない」がなくなる本

「つまらない」がなくなる本

  • 作者:鶴田豊和
  • 発売日: 2016/05/21
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

読んだら得られるもの
つまらないことや退屈なことへの新たな向き合きあい方

つまらない時間の活かし方
何もしないでボッーとする 脳を休める時間にする

 

 

なぜ三浦春馬は旅立ったのか


同世代の俳優の中でも個人的に三浦春馬くんは好きな俳優だった。誰が見ても好青年。おごることなく俳優という仕事に向き合う彼の姿は、多くの人に勇気と感動を与えたはずだ。それだけに彼の死はとてもショッキングな出来事だった。

報道では「端正なルックス、役者としての地位を確立し、これから期待される俳優だった」と紹介されている。多くの友人や俳優仲間に恵まれ、忙しいながらも順風満帆だと思っていた。昨日まで普通に仕事をしていて、テレビを通して観ていた人が突然いなくなるということが起こり得るんだという現実を、改めて突き付けられた一件であった。遺書はあるものの、真相は闇の中、本人にしかわからない死生観や葛藤があったとしか我々は言えない。


三浦春馬くんの死に対する疑問と、今回「つまらないがなくなる本」を読んで考えたことが、人生における普遍的な問いに対するヒントを与えてくれたような気がしたので、ここに書き留めておきたい。

 

活動中毒から脱出する


コロナによって”強制ステイホーム”を経験し、多くの人が「退屈な時間」「何もすることが無い時間」というものに向き合ったと思う。それぞれが自宅で運動をしたり、ゲームをしたり、リモート飲み会をしたり、工夫をして家での過ごし方と向き合った。私はこの”強制ステイホーム”という経験が多くの人の時間に対する思考を少し変えたのではないかと思う。そして、我々がどれだけ”活動中毒”に陥っていたかを思い知らされた。休みがあればショッピングに行き、レジャーに繰り出し、旅行を計画する。家に居るのは損だという価値観のなか、予定がないことへの不安を打ち消すようにスケジュール表を埋めていた。コロナが我々にもたらした「新しい生活様式」の功罪を挙げるとするならば、感染症対策の他に、活動中毒に対するアンチテーゼが含まれているのではないかと考えるようになった。


”強制ステイホーム”は多くの人がこれまでも薄々気付いていた、活動によって得られる一時的な刺激や興奮、癒しを消費する生活の行きつく先に、一体何があるのかという疑問に向き合う時間になったのではないかと思う。我々はそろそろ活動中毒という価値観を見直す時期に来ているのかもしれない。

 

すべてを手に入れた、その先にあるもの


本書の一例で紹介された女性は仕事で地位を確立し、最良のパートナーに巡り合い、楽しい友人に囲まれ、一生食いっぱぐれのない大きな資産を手に入れた。

しかし、それでも幸せは感じなかった。

地位も名誉も名声も金も手に入れ、友人や家族に囲まれた生活。あるときそこ地点に行き着いた人は、その先に何を見出すのだろうか。
これは人類がこれまでも向き合ってきた普遍的なテーマだと思う。どこへ到達すれば幸せで、何を目指して生きればよいのか。これは人によって様々で、当然画一的な答えはない。
しかし、本書では大きなヒントを与えてくれた。それは「意味のある人生」か「意味のない人生」によって幸せへの感度は変わってくるのではないかということだ。本書で定義する意味のある人生とは「本来の自分を生きること」とされている。

つまり意味のない人生、本来の自分を生きていない人生は、物質的に豊かであっても、精神的に貧しい、満たされない人生を歩んでいるのではないか、それこそ死んでしまいたいぐらい人生に意味を見出せない日々なのではないかと想像した。

さらに本書では「人生に意味を見出さない」と説いている。人生の意味について自分自身に問いかけ続ける行為は、知らず知らずのうちに自分自身を蝕んでいることに気付くべきなのかもしれない。
そして、「本来の自分を生きる」「人生に意味を見出さない」というキーワードと「三浦春馬の死」が勝手ながら自分の中でリンクした。

 

役者という仕事が、三浦春馬を追い込んでいた


役者という仕事は、他人を演じることが仕事だと私は思っている。三浦春馬はストイックなまでに役柄に向き合い、役作りに多くの時間を費やしてきた人生だったのではないかと想像する。幼少期から子役として活動し、周囲の大人たちの期待に応えるべく、必死に役を演じてきたのだと思う。そんな生活を続ける中で、彼は本来の自分を見失ってしまったのではないだろうか。私は、役者という誰かを演じる特異な才能を持った三浦春馬という人物の人生は、大いに意味のある人生だったと思う。ただ、もしかしたら本人の中には、ずっと他人を演じ続ける行為が、本来の自分を失っていくような感覚を覚えていたのかもしれない。


答えのない問いを自分自身の中でグルグルと巡らせるのは、脳のキャパシティを奪っていると考えるべきかもしれない。それよりも、本来の自分は何がやりたくて、自分自身という存在自体を肯定できるような思考を持つことが、生きるうえでの根底となるエネルギーになるはずだ。


私たちは、自分の人生に意味などを追い求めず、自分を強く肯定できる時間を増やすことが「本当の自分を生きる人生」といえるのかもしれない。

 

迷ったときは、ハートの声を聴く


これはライフネット生命の出口さんもある著書でこう表現していた。「迷ったときは直感に頼る」。本書ではこれを「ハートの声を聴く」と表現している。私が考えるハートの声は、本来の自分が発してる嘘偽りないメッセージだと思う。多くの人は大人になると、自分の素直な気持ちに蓋をしながら生きている。そうやって過ごしているうちに、向き合っていた自分の気持ちやハートの声を聴くことすら忘れてしまっていることが多い。今まで仕事にプライベートに、忙しく日々を過ごしてきた人は、ステイホームの期間や夏休みの空いた時間に「ハートの声を聴く」時間を設けてみてはどうだろうか。

 

何もしない15分間で脳を再起動


本書ではこの「何もしない15分」のプログラムが脳の再起動と理由なき幸せ(Happy for No Reason)へ至るに重要だと説いている。よく考えれば普段の生活のなかで何もしない15分は意外と存在しない。スマホを触らず、眠らず、積極的に考え事もしない、ただただ息をして15分過ごす。普段こんなことをしないだけに、何もしないという行為(矛盾する言葉だが)は難しい課題であることに気付く。ある意味の非日常をによって脳がクリアになって、心の空間が広がるような感覚をぜひ体験してほしい。

 

総評


BOOK OFFでこの本を手に取ったきっかけは、単純に自宅で過ごす時間が増えて、つまらない時間が増えたなという感覚を解消できればという程度だったが、思いがけず三浦春馬くんに一件とシンクロしてしまった。そこから「人生の充実」という普遍的なテーマに対して、肯定的な考えのヒントを得られたと思う。たまたま手に取った本からこういう気付きが得られると、やっぱり乱読がやめられない。とても価値のある一冊だった。