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なぜかうまくいく人のすごい無意識 本当の自分として生きる目的を判断基準とする

 

なぜかうまくいく人のすごい無意識

なぜかうまくいく人のすごい無意識

  • 作者:梯谷幸司
  • 発売日: 2018/10/20
  • メディア: 単行本
 

 

コンビニの雑誌売り場や書籍売り場には意外と良書が潜んでいる。
本書もローソンの書籍売り場で出合った。ただしその場で買わず、メルカリでポチったことを付け加えておきたい。
読了した結論から申し上げると「久々に気付きの多い良書」だった。

私は学生時代に須藤元気さんの著書を愛読していた。「偶然」「シンクロ」「無意識」を少しスピリチュアルチックに、エッセイ風に教えてくれたのは須藤元気だ。
言葉も思考も、何事もポジティブに。これによって確かに物事がうまくいく場面は多かった。ただし、それについて説得力のある説明をできなかった。経験則で「ポジティブシンキング」を実践していたのだが、それを本書が裏付けしてくれたといえる。
これを手に取ったのも、須藤元気風に言えば偶然ではなく「シンクロニシティ」のひとつ。必然だったのだと思う。
各頁で印象に残った箇所を一部ご紹介したい。

 

無意識の判断基準「メタ無意識」


何かを判断・決断する時に、それを後押しするものは「自信」だと思う。そしてその自信の背景には、物事を自分で決めたという「自己決定感」と、行動を起こして目的を達成できたという「自己有能感」の積み上げが自信の大きさ、強さにつながる。つまり、周りの意見によって物事の判断をしてきた人は「自己決定感」が薄く、おそらくその判断に責任を持てない。私の知る限り、大企業の要職に就く人に限って意外とこういう人が多い。しっかりと自分の中の「こうしたい」という自分の意志に目を向けていない人がとても多いといえる。

 

自分の正しさの証明に興味はない


低所得層、中所得層ほど自分の正しさを証明するために誰かを悪者にする。これは自分自身にも覚えがあって耳が痛い。高所得者ほど自分の正しさの証明に興味がないというのだ。もちろん自信満々な人ばかりではないと思うが、自分の決めたことに責任を持って全うする人が多いからこそ高所得を得ているという帰結なのかもしれない。自分の判断の正しさを世間にしてもらうのではなく、自分自身がそれを証明することがアッパー層の思考なのだ。

 

本当の自分として生きる目的を判断基準にするのか、世の中のルールで判断するのか


これは前述にも通じるところがあるかもしれないが、ありたい自分に向かい合って、本当の自分に向かって物事を判断することができているだろうかと自問自答した。私自身に置き換えても、世の中のルールで判断していることがとても多い。大半のことはマジョリティの判断がおおむね正しいのだと思う。

ただし、その判断に至るまでに本当の自分と向き合っただろうか。そのうえで世間のマジョリティに収まったのなら良しとしよう。この言葉に触れ今後の課題として意識したことは、本当の自分として生きる目的を明確にして、それに向き合う機会を多くしていく必要があるということだ。

 

無意識のクセを知る


人それぞれの持つ無意識に目を向けるのはとても難しい。本書では無意識のパターンを14種に分けて、それぞれの長所短所を解説して場面ごとの使い分けや自分の傾向を診断するきっかけを与えてくれる。わかりやすい場面で言えば就職活動の適性検査などで、「考える前に行動」派か「よく考えてから行動」派を答える設問がある。

これはどちらが正解ということではなく、業種・職種によって適性を見極めるツールの一種なのだと思う。自分なりの分類では、攻めの職種といえる営業や企画は「考える前に行動」派がマッチして、守りの職種といえる管理系や公務員、インフラ従事(鉄道、航空、電気ガスなど)は前例やマニュアルに従った「よく考えて行動」派が適正ということだ。無意識のクセやパターンを知って、自分の思考の傾向を見返してみると面白いと思う。

 

徹底的に自分基準で考える


このワードだけを捉えると自己中心的な判断ばかりしてしまう人と勘違いしてしまいそうだが、そんなことはない。日本人は自分の気持ちや欲求を抑えすぎどころか、その気持ちに向き合うことをしなさすぎなのではないだろうか。世の中に飛び交う情報や出来事を自分事に当てはめて、自分の気持ちに触れさせる機会を増やさないと、自分のことすら自分で決められない大人がどんどん増えてしまう。若いころに大きな希望や青臭い夢を抱いていたように、いくつになっても自分の中にある本当の自分に向き合うことが「徹底的に自分基準」に繋がってくるはずだ。

 

あなたにとって幸福な状態とは?


脳は具体的なゴールがなければ混乱してしまう。「幸せ」「幸福」という抽象的な言葉だけでは、脳は幸せを認識できずに幸せになれない。答えのない問題を解き続けるような日々に区切りをつけるには、自分で答えを作る必要があるという、とてもシンプルな論理に対して我々は意外と向き合っていない。自分なりの幸せの定義を具体的なイメージとして(Google画像検索やPinterest検索で探しました)たくさんストックして、そこに自分がいるところが「幸せ」なのだとという答えを、脳に持たせてあげたいと思った。

自宅にこもりがちな今こそ、この状況が明けたときに実現したい「幸せ」を再定義してみてはどうでしょうか。


私は平日も休日も、妻と毎日過ごす何気ない日々が幸せであることに改めて気づきました。

★★★★★ 98点